それが、なぜ、H銀行なのか、規模が小さくて政治力がないから(大蔵省に)いいようにされたのだ」。
Aは一九九八年一月末、大蔵省検査部の接待汚職事件の摘発を受けて、急速、創設された金融服務監査官室の初代室長のポストについた。
Aを指名した理由を大蔵省の首脳同は「和歌山県警本部長時代に脱税や贈収賄事件を摘発してきたから(経験豊富)だ」と述べた。
Aのその後について書く。
Aは関税局長を最後に退官。
S警備保障(ALS0K)に天下った。
ALS0Kは、Sに次ぎ警備サービス業界二位の会社だ。
Aは二0一0年六月の株主総会後に代表取締役副社長(人事総括担当兼営業本部長兼企業倫理担当)に昇格した。
営業本部長は同社のオーナーで代表取締役社長のMが兼務してきたが、一0年にAがこれを引き継いだことになる。
H銀行の元頭取、H逮捕の真の狙いは、K・副頭取射殺事件の真相解明と和歌山県版・I事件といわれたW開発への不正融資の全容を明らかにすることだった。
H銀行は和歌山県の指定金融機関だったK銀行の別働隊としてW開発や関連会社に融資していたし、関西の経済ヤクザ絡みの取引にはK銀行以上に深入りしていた。
K射殺事件の真相をH銀行の最高首脳は知っている。
完全には解き明かされていないかもしれないが、薄々気づいている、と捜査当局は、現在でも信じて疑わない。
大阪地検特捜部は、フォレストシティ関連で闇に消えたといわれている三00億円の行方を、政界ルートを中心にずっと追い続けていた。
H頭取(当時)が情実融資したとされる不動産会社が、倒産したW開発のダミーだったことが県警の捜査で判明している。
今回、文庫版を執筆するにあたり、私のディープスロート役を、永年務めてくれていたH銀行の元幹部のHSに連絡を取った。
男性デュオのKのサングラスをかけた背の高いほう(K)によく似たナイスガイだ。
HSは、総務の幹部から和歌山市内の支庖の支庖長に出て、その後、営業を終えたH銀行の預金引き下ろし業務を引き継いだK預金管理銀行に勤めた。
この住事が完了してからは仕事につかず、ブラブラしているという。
「週三回、アスレチッククラブのプルで泳いでいる。
血圧も高いし」と、弱々しい声で語る。
私の「会いたい」という問いかけに対しても、「もうすべてを忘れたい。
H銀行の仲間とは年賀状のやりとりもしていないし、携帯電話の電話番号帳からH関係者の電話番号は全部、消去した。
誰にも連絡しない。
誰からの連絡もない。
誰にも会いたくない」と電話口で、ポツリ、ポツリと答えるだけだった。
数年前に、H銀行の倒産にまつわる資料を、本人が県警で事情を聴取されたときの調書の写しを含めて、すべて焼却したという。
H銀行が倒産したのはHSが五0歳のときだ。
あれから一五年近くたつが、HSの時計の針は、今も止まったままだ。
伏魔殿と称せられたH銀行を中途半端な形で潰したツケは大きい。
HSだけではない。
前途有為なパンカーが何人も死んでしまった。
一九四一年八月。
前身のN無尽が営業を開始したのは一九二五年Hの老害と不肖の息子寵愛の合併症。
パカな息子ほど可愛いという。
銀行の要職につけず、遊ぶ金を渡していれば、マイ・バンクを潰さずに済んだ。
金の亡者の一族が不動産パプルの夢に踊った金満症。
居士という戒名をつけた。
一子相伝とは、先祖伝来の技芸の奥義を、わが子のみに継承してほかには秘密にすること。
不幸なことに、Hの子には奥義を受け継ぐだけの器量がなかった。
和歌山県田辺市にN無尽をHが創業。
S無尽を吸収。
無尽の一県一行主義の国の方針を受けてH無尽と合併。
一九四一年夏にK無尽に。
五一年にK相互銀行に転換。
八九年二月に普通銀行となり、行名をH銀行とした。
和歌山、大阪族南部を営業地盤とする第二地銀。
バブル崩壊後、関西の危ない銀行を表す「FH20」に名を連ねた。
一九九六年二月二一目、経営が破綻。
大蔵省より、預金の払い戻し以外の業務の停止命令を受けた。
業務停止命令は、日本の銀行では戦後初めて。
Hの破綻処理では、受け皿銀行の設立はなく、預金者保護だけに目的を絞ったK預金管理銀行を設け、清算させる方式がとられた。
金融ビッグ・パンとの整合性に腐心し、「適切な対応であった」と金融当局は自画自賛した。
「H銀行は救済したのに、なぜH銀行は清算なのか。
清算で職を失うことになる従業員組合や倒産後結成された支庖長を中心とした「H銀行管理職会」の怒りは大蔵省へと向かった。
大蔵省は前例のない異議申し立てに、自信を失い、地方の銀行員の反乱に恐怖心さえ感じたという。
その後の金融機関の破綻処理は、従業員の雇用を守る営業譲渡方式が主流となるが、そのきっかけをつくったのが、H銀行。
ケツを捲った後は、しっかりやったので、経営陣以外はH銀行の汚名を、半分は返上できた。
H銀行の本庄は和歌山市。
資本金五六億円。
従業員八0二人(一九九六年六月末時点)。
預金量五0七五億円。
店舗五三一九九三年八月に射殺されたK元副頭取。
ジュニアと呼ばれた先妻の子、Hの甥で五代目頭取だったH。
Hは商法の特別背任容疑で逮捕された。
K・元副頭取の射殺事件は、二00八年八月、公訴時効が成立。
事件は迷宮入りした。
H。
N無尽の創業者、Hの長男。
一九九二年に八0歳で頭取を辞任したが、三0年間続いたオーナー一族の抗争の主役。
九六年二月に銀行として戦後初の業務停止命令を食らったが、その原因をつくった張本人。
二五年間、トップの座に君臨し、系列ノンバンクの過剰融資を黙認してきた罪。
金貸しが「信義」をモットーにしたりするから狙われた。
大蔵省の手で黒い金(ブラックマネー)の流れを止めるために倒産させられたのだから、潰れ方が悪かった。
だから一0年たっても、一五年たっても、真面目な行員は立ち直れない。
ダメとわかったら、きれいに潰れてこそ散華。
二0一0年四月二三日、和歌山市の大手砕石業者でガソリンスタンドを兼営するD石産が和歌山地裁に自己破産を申請し、同日、同地裁から破産手続きの開始決定を受けた。
負債総額は一0一億五00万円。
A新聞の和歌山版に小さな記事が載っただけだが、D石産のメインバンクはH銀行だった。
Hが消えて、借入金の大半は整理回収機構に移った。
Tデータバンクの資料によると、債権者の筆頭は預金保険機構(送付先は整理回収機構となっている)で四四億八四00万円。
第二位がKA銀行W支庖で三七億四六00万円。
その他の金融機関を探してもMSファイナンス&リースH営業部(九六五万二000円)が出てくるだけだ。
H銀行がなくなって、金融的に漂流した企業の姿が、はっきりと浮かび上がってくる。
H銀行が経営破綻して一五年になろうとしている。
メインバンクを失った地場企業の苦闘は今後も続き、間欠(一定の時聞をおいて起こったりやんだりすること)的に、倒産が出てくるだろう。
Hの死はいつになったら完結するのであろうか。
K銀行創業者一族による、一族のための銀行。
行名通りハッピーとはいかなかった「あのK銀行が公的資金を申請と。
恥知らずにもほどがある」K銀行の公的資金の申請に関西の金融界は呆れ返った。
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